○ネパールへ出発
六日間、ネパールに行ってきました。出発は関西空港。家から自動車で二時間ほどかかります。
飛行機はロイヤルネパール航空でした。関西空港が完成してから、ネパールー大阪間の直行便が通り、ネパール行きはとても楽になったのです。
しかし、やはりネパールは財政面が乏しいらしくて、ボーイング757の内装は最低ランクのようでした。音楽を聴くステレオもないし、テレビももちろんありません。まあ、一応ば無事に飛ぶ、というような感じでしょうか。ところで、意外に感動したものがあります。それは食事のことなんです。国際線の飛行機ですと、必ず『食事』がついてくるのですが、食事の前に『今日のメニュー』っていう紙を渡されます。そこに今から出てくる食事がどんなものなのか載っているのですが、そこでビックリ。
まず、メニューの上の段には普通の食事メニュー。そして下段にはなんと、『ベジタリアンの方のメニュー』と書いてあるわけ。やはり、ベジタリアンはかなり市民権を得ているようです。
色々外国を回っていますと、ベジタリアンって結構外国では受け入れられているみたいです。 出てきた食事も、とてもおいしかったのですが、いかんせん、もしかすると食事が出ないかも知れないっていうことで、待合室で弁当を食べたばかり。おなかパンパンの上に、さらにパンパンになってしまいました。カレー風味の、とてもおいしい食事だったのですが、味わえなくて残念です。 うとうとと眠りかけたら、上海に到着。ここで中国からネパールに行く人が乗り込んできました。でも、日本からの人は外に出ることはできず、ただ、飛行機の中に閉じ込められたままです。
再出発をすると、すぐにまた、食事が出てきたのです。もう、食べられないよ。
それから、本当はいろいろとワープロの仕事をしようと思ったのですが、どうも気が立ってしまってそれどころじゃなく、朝も早かったこともあって、ぐっすりと眠りこけてしまったのです。○カトマンドゥに到着
ガタン。なんだかすごく揺れたような気がして目が覚めました。機内放送がかかります。どうやら、飛行機が着陸態勢に入ったようです。急激に高度が下がり、厚い雲を突き抜けると、そこにはネパールの首都、カトマンドゥの町並みが広がっていました。
もう夕方の黄昏時。この時間に、日本だと空から地上を見ると、ネオンサインやライトが明るく眩しくて、とてもきれいな時間です。
ところが、カトマンドゥはひっそりとしていて、もう暗くなってきているのに、ネオンは一つも見えません。時おり、民家から溢れている光が見える程度で、町に活気もないように感じました。ただ、自動車が行き来しているのは見えたので、「ああ、やっぱりカトマンドゥに着いたんだ」ということは分かった程度です。
それに、なんだか空気がよどんでいるようで、うっすらと曇って、よく町の風景が見えなかったのです(あとで、これはスモッグだと分かりました)。 カトマンドゥに到着する前に、ちょっと、ネパールが今、どのような経済状態にあるのかなどを勉強しておきましょう。
ネパールは世界でも五本の指に入るぐらい、非常に貧困な国です。識字率は二十%ほど、舗装道路の総延長距離は、国土が日本の四分の一あるにもかかわらず、たったの三千キロメートルです。1ルピーが2円で換算されるのですが、現地だと1ルピーが100円ぐらいの感覚、つまり、日本の物価の50分の1だから驚きです。
このような国ですから、平和ボケしている私たちにとって、この条件はあまりにも過酷であることは、覚悟が必要です。○大変な入国だった
空港に到着して、ネパールへの第一歩です。
ムン!
タラップを降りたら、なんとも言えない蒸し暑さが全身を覆います。おいおい、ネパールってこんなに暑いの?ネパールっていえば、ヒマラヤ山脈を思い起こすように、寒いと思ってましたから、冬用のセーターも持ってきていたのです。でも結局は、それは荷物になっただけで、使われることはありませんでした。 それにしても建物がボロい。赤レンガでできているのですが、これが首都の一番の国際空港なのかっていうほどのボロさです。でも、これも後ほど、『一番きれいなところ』ということが分かってきて、がく然とするのですが…。 空港の出口には、まず入国審査があります。ここでビザを見せて、ネパールの国内に入るのですが、ここがとても鬼門でした。
一緒に行った人(Aさん)が台湾国籍でして、日本でネパールのビザを取得するのに、わざわざ東京のネパール大使館にご本人が出て、取得されたのですが、台湾のパスポートは本人のサインがないために、非常に特殊なものとなってしまってました。これが、最後の最後まで災いすることになるのですが。 特殊なビザですから、入国審査官も見たことのないビザのようで、最初に「ビザがないから、入れない」と言われたのです。で、ネパールは入国審査の場所でビザを取得できますから、そっちの方に並べって言われてしまったのです。
私はもう、先に入国審査を終えて出ていましたから、何が起こっているのか分からずに、「ありゃ、なんか問題が起こってるよ」って思っていたのです。 で、ビザを取得するコーナーに並び直されて、いざ、という時になって、やっぱりゴタゴタ。それで仕方なく、審査官の後ろから私「彼はビザを取ってます」って、パスポートを広げて特殊なビザを見せました。
わいのわいのとしているから、いっぱい審査官が寄ってきて、大騒ぎになって、やっとの思いでネパールに入ることができたのです。○はくえんはくえんと大騒ぎ
結局、一時間ほどかかったのですが、その後、荷物が手元に届くまでにさらに時間がかかり、一時間半ほどして空港から出ることができました。これから先が思いやられるってもんです。
空港から出ると、ネパール滞在中ガイドさんが待ってました。体のがっちりした、ネパリ(ネパール人のこと)です。 それでガイドさんとあいさつを交わしていたら、五・六名の子どもたちが近づいてきて、私たちの荷物を持ってくれたのです。「ほほう、親切な子どももいるもんだ」なんて感心していたら、実はチップねらいの子どもたちでした。
自動車に乗り込んだら、「チップチップ」とか「はくえんはくえん(百円と言ってるんだと思う)」と手を出して、「くれくれ」て言ってきました。いきなりのことに、大変ビックリ。
一円玉を渡したら、「少ない」って怒らた。 パンフレットに『空港からホテルまで専用車で送迎』と書いてあったので、すっごい自動車かもしれないなどと思っていたら、ホントにすっごい自動車でした。トヨタの1ボックスバンで、ボッロボロのやつ。バルルンって黒煙を上げながら、走り出しました。
町並みはホント、今までに体験したこともないほどです。まあ、ハッキリ言えばボロボロ。でも、もう夜になっていたので、あまりその汚さは分かりませんでした。行き交う自動車は、日本で昭和四十年代に姿を消したものばかり。カローラ、サニー、コロナなどなど。
日本でこんなの走っていたら、クラシックカーとして、反対に目立つぐらいです。○水道水が黄色い
ホテルに到着しました。Aさんが高齢ということもあって、あまり無理をしないようにして、ホテルもあまりボロっちくないようにしました。だから、四ッ星ホテルなんですが、一人当たりのホテル料金がなんと、朝食・夕食付きで日本円で一泊6000円ぐらい。
でも、1ルピーで100円ぐらいの感覚だったら、やはり高級ホテルなのかなあとも思います。
中には一泊100ルピーぐらいで泊まれるところもあるようでしたが、そこにはお風呂もシャワーもないし、衛生面も激悪ですから、やはり無理です。 ホテルのロビーでガイドさんから注意事項を受けました。まず、絶対に水道水は飲まないこと。現地の人は飲んでいるみたいなんですが、日本人が飲めば絶対にゲリになるそうです。それと、ネパールは外貨の両替が簡単にできるし、日本円でも通用するから、あまり多くの両替は必要ないとのことでした。 部屋に入ります。お風呂をのぞいて「ゲゲ!」と声を上げてしまいました。水道水が黄色い…。こりゃ、飲めって言われても飲まないわな…。
しかも、お湯が出ない。生ぬるい水のようなものが出るだけでした。やはり、お湯事情も悪いのか。でも、しばらく(一・二分)して、やっとお湯になりました。ホ!
この日の夜は、気が立って眠れませんでした。でも色々思っている内に、いつのまにか眠ってしまったみたいです。明日は朝五時半に起きなければいけません。○ホテルにサルがやってきた
朝、モーニングコールで目が覚めると、Aさんはすでに起きて、お風呂から出てきました。ホテルの窓をドンドンとたたく音がするのでのぞいてみると、なんと、野生のサル。どうやらえさを欲しがっているようなので、昨日の残りのゆで卵をあげました。
手で受け取って、卵の殻をむいて食べていました。
ホテルでモーニングを食べて、六時半には出発しました。今日はポカラに向かいます。 朝になって風景を見ると、カトマンドゥが日本とはとんでもなく違っていることが分かります。ボロボロのバス、自動車、そして小屋みたいになっている三輪車の自動車。もうもうと立ち込める排気ガス…。百二十万の人口の町は、とても騒然としていました。しかも、信号がない…。
滞在中に見つけた信号の数は三つ。しかも一つは壊れていました。 空港は昨日着陸したカトマンドゥ空港です。国内線は違う入口になっていて、国際線よりも輪をかけてオンボロでした。
飛行機の中で、コーヒー牛乳のようで豆乳のような、分からないあったたかい飲み物を飲みましたが、あれは一体なんだったのか、今になっても分かりません。飛行機はネコンエアという、ネパール国内の会社のものでした。
途中晴れていて、ヒマラヤの山脈がハッキリと見えて、感動ものでした。○ポカラへ出発
ポカラは、とても雨の多い地域で、一年のほとんどが雨です。今回も到着した日の朝までは大雨続きで、大変な豪雨だったようです。ところが、私たち一行が到着してからというもの、雲もないほどの快晴。真夏の陽気の中、ここでもまた、トヨタのバンに乗って出発です。 まずは、有名な滝。ジョーンズ滝っていわれるところで、今日のメインであるフェア湖から流れてくる水が、大きな大きな滝になっているところです。 続いて、ポカラで一番大きなヒンドゥ教のお寺、ビンドゥバシニ寺院に行きました。小高い山の上にあり、階段を登ると、見えてきました。ヒンドゥ教のお寺に、天命の一歩が踏み込まれる瞬間です。
ネパールはお寺にお参りに行く時、必ず時計周りでお参りすることが決まっています。右肩を見せながらお参りしていくのが、礼儀のようです。
私たちも、その慣例に従いました。 メインの建物には、破壊の神であるシバ神がまつられており、お参りをすると女の子からおでこに赤い印をつけてもらいました。これは、花びらを粉にして作られているようで、ほとんどは赤色ですが、中には青や黄色など、いろんな色のものがあります。これをおでこにつけてもらうと、幸せになったり財運がアップするといわれ、多くのネパリも、そのようにしていました。 続いて、本日のメインであるフェア湖です。ここは、ネパールで一番大きな湖です。
フェア湖の真ん中には人工の島があって、そこにヒンドゥ教の寺院が建てられています。そこには手こぎのボートで行くしかありません。グラリグラリと揺れながら、やっとの思いで乗り込みました。
島につくと、たくさんのヒンドゥ教徒がいました。 これでポカラとはお別れです。遅い昼食を食べて、しばらくホテルで休んで空港に向かい、カトマンドゥへ帰りました。やはり、交通の便は非常に不安定で、たくさんの待ち合わせ時間が必要だったのが、難点でしたけど、ま、仕方のないことでしょう。 ホテルに到着です。
明日は、お釈迦さまの生誕の地である、ルンビニというところに行きます。朝は五時に起きなければいけません。○ベジタリアンかベジタリアンじゃないのか
目覚めると、Aさんはすでに起きておられました。なんと、運動不足になるといけないからと、ベランダをグルグルと走っておられたようです。
朝早い食事をして、用意を終えたら、ガイドさんが迎えに来てくれていました。 一路、カトマンドゥ空港へ。
もう、カトマンドゥの市内のけん騒には、少し慣れてきました。道路が左側通行なのと、昔の日本車ばかりなので、慣れるのに時間がかからなかったのかも知れません。
今日行くところは、インドとの国境。ネパールでは一番南に位置するところで、緯度でいうと赤道付近になります。だからガイドさんは「今日は暑いですよ。覚悟していてください」と言ってましたが、まあ半分はタカをくくっていました。そういえば、ルンビニに行く飛行機の中で驚いたことを一つ。途中で、アンケートを取っていたのですが、その中に『食事』の欄にチェックをつけるところがありました。そこにはなんと、『VEG(ベジタリアンのこと)』と『NO VEG(ベジタリアンではないということ)』の二つの項目が並んで、どちらかにチャックをつけるようになっていたのです。
「ええ、すごいなあ」というような驚きに遭いました。それだけ、ベジタリアン文化は進んでいるようです。○あちちのルンビニ
空港に到着して、最初の一言は「暑い!」でした。
暑いのなんのって、時計についている温度計は、最終的には四十℃を超えたのですから、その猛烈な暑さが分かると思います。なにせ、体温より暑い、いえ、熱が出てうなされている時の体温よりも暑いのですから。 空港からルンビニのお釈迦さんの生誕地までの間、ここでは私たち、大変なカルチャーショックを受けたのです。
なにせ、貧困を極めている。
Aさんも、戦前の台湾や戦後の日本を見てこられていますが、これほどまでに貧困を見たのは、初めての経験だったそうです。なにせ、わらぶきの今にも倒れそうな家の中に、ガリガリにやせた家族が数名。なにもすることなく、ただ座っている大人の人があちらこちらにいて、牛は放牧されていても、これもまたガリガリにやせていて。裸足で歩く人。ハエがたかっている野菜もしなびている。
Aさんは自動車の中で、「貧乏やなあ。貧困やなあ。かわいそうやなあ」と言い続けておられました。よほどのカルチャーショックだったのでしょう。 さて、ルンビニのお釈迦さまの生誕地に到着です。猛暑の中、お釈迦さまがお生まれになった場所に行きました。 今日の予定はこれでおしまいです。ルンビニって何もないところでして、本当にお釈迦さまの生誕地以外には何もないんです。ネパールって時間の流れが本当にゆっくりしているんですね。日本で、しかも私たちだったら、こんな数時間の余裕があれば、何か他のことはできないかと、時間のムダをなくそうと必死になるのですが…。
飛行機も夕方までありません。ルンビニのホテルで昼食を取ってから、しばらく休憩することにしました。慣れない土地で、Aさんもお疲れのようでしたから。○おどろきのガンジス川
ホテルに到着。
朝、ゆっくりとして、ホテルのレストランで朝食のパンを食べて、ゆっくりと準備をして、九時半に出発しました。今日はカトマンドゥの市内なので、それほどあくせくと慌てる必要もありません。
今日の予定は五ヶ所。すべて、有名な寺院です。
スワヤンブナート・パシュパティナート・旧王宮・ナラヤン寺院などなど、ネパールの主要な宗教・寺院・政治権力など、すべてを網羅してきました。
スワヤンブナートでは、いろんな宗教が雑多に立ち並ぶお寺です。
あと、一つ名前を忘れてしまったのですが、ヒンドゥ教の寺院では、ヒンドゥ教の『世界平和の護摩』を焚いている時で、なんだか、ものものしかったです。 パシュパティナートは、ヒンドゥ教のネパールでの聖地にあたるらしく、本殿に入ることすらできなかったんです。ヒンドゥ教の信者だけが許されているそうなんです。
ここは、一本の川が寺の真ん中に流れていて、この川はあのガンジス川につながっています。だから、たくさんの死体が焼かれていました。ニオイもプーンとただよって…。その死体の横では、沐浴している人もいるし…。ヒンドゥ教の美的感覚は、あまり理解できるものではありません。
すべてが生まれ、すべてが帰るガンジス川らしいのですが…。 そんなこんなで、ネパールの旅は終わりを迎えようとしています。
明日は、朝からいったん香港に向かいます。直行便が取れなかったので、香港で一泊することになったのです。
これがとんでもない事態を引き起こそうとは、この時点では露ほども知りませんでした。○香港に入国拒否!
朝から空港に向かい、ついにネパールとはお別れです。短かったけど、とても堪能することができました。ありがとう。 やはりAさんは、今度は出国審査のところで引っかかっていました。「ビザがない」と、入ってくる時と同じことを言われたので、「ここにあるじゃないか」って、ネパールの入国ビザを見せました。
実は、この時に言われたビザってのは、ネパールのビザのことじゃなかったんですが、この時は頭に血が上っていて(何回同じことを言わせるの?って感じ)、冷静な判断ができなかったのです。これが、間違いの一つの始まりでした。 そして香港に到着。無事に香港に入国…、かと思ったら、案の定、Aさんがまた引っかかっています。で、真っ赤な顔をして、入国審査官が私たちの方に飛んできて、「誰がこのパーティのリーダーか」と聞いてきたんです。で、みんなが私の方を指差して、「彼です」と言ったので、私はAさんのところに連れていかれました。
そして「なぜ彼は、香港入国のビザを持っていないんだ」って詰め寄られたわけです。なぜって言われても、今回は完全に旅行会社に任せているし、香港で台湾人がビザをいるなんて知らなかったし…。ということで、シドロモドロしていたら、取調室に連れていかれました。 そこでいろいろと話を聞いていると、どうやら、ネパールの出国の時に「ビザがない」といわれたのは、Aさんの香港入国のビザだったらしいんです。それで、普通は絶対に相手国のビザがなければ、飛行機に乗せることはないのですが、私が強引に言いはねたので、そのまま強行突破してしまったらしいんです。
で、香港の入国審査官がいわく、Aさんを指して
「彼は香港に入ることはできない。このまま空港で泊まってもらうことになるだろう」
って。 こりゃ大変だと思って
「じゃあ、私もいっしょに泊まります」って言ったら、
「それはだめだ、君は出なければいけない」って言われちゃったんです。
それで、Aさん一人を残して、香港に入りました。Aさん広東語も英語も通じません。ホント、一人さみしく、しかも空港の椅子の上で寝ているかと思うと、みんな、お通夜のような香港でした。 次の日、朝早くからタクシーを飛ばして、すぐに出発手続きをして、空港の中に入り、Aさんを探しました。飛行機会社の人がとても親切で、後から心配になって探しに来てくれたので、とても助かりました。
Aさんをみつけた時、Aさんの眼にうっすらと涙が浮かんでいたのが、とても感動的でした。 まあ、そんなこんなで珍道中は無事に日本へと帰ることができました。