五葷(ごくん)について考える 私自身は五葷OK派でして、「五葷NG」という考えは未だに承服できません。(もちろん五葷NG派の人とも仲良くやっていくつもりですが。)五葷といっても野菜の一種にすぎないのに、なぜ肉や魚を食べるのと同じような罪悪感を持つ必要があるのか全く分かりません。
どんな野菜にも、それぞれに特有のにおいがあるのに、なぜ五葷のにおいだけを悪臭扱いするのでしょうか?「くさい」と感じるかどうかは主観的な判断にすぎないと思います。バジル・オレガノなどのハーブ類もかなりきついにおいがする(場合によっては「くさい」と感じられることもある)のに、なぜOKなのでしょう。納豆もなぜOKなのでしょう。
また、身体への刺激という点で言えば、生姜もかなり刺激が強いですが、なぜ五葷に含めないのでしょう?「人間の本性を傷つける」と言える科学的根拠はあるのでしょうか?(「五行」「方角」「八卦」等の迷信じみた概念や伝説を持ち出されても私は納得できません。)大量に摂取した場合の人体への影響については分かりませんが、普通の食べ方をしている分には何も悪影響はない(それどころか「身体を温める」などの良い影響がある)と私は思います。
また、「仏道修行の妨げになる」のが本当だとしても、私は一般人ですから関係ありません。そもそも、五葷と五葷以外の野菜とは、植物学上、境界線が引けるのでしょうか? 中間的な野菜はいくらでもありそうですし、作れそうです。ひょっとしたら、五葷の刺激成分と共通する成分を含んだ野菜が五葷以外の中にもあるかもしれません。もしそのことが判明したら、その野菜も食べないことにするのでしょうか?
こう考えると、「五葷NG」というのは単なる「習慣」か、「好き嫌い」の域を出ないのではないかと私も思うのですが、どうでしょう?
(Yassさん)
心を騒がす元
さて、掲題につき、感想をのべます。
「世の中には、いろいろな人がいます。その生き方として、最も心安らかな生き方を求める人がおられます。その人達は、人間の心のなんともコントロールしがたいことを知り、心が出来るだけ動かされないような安定を求めます。
これを日常実践につとめることを修行や修道というのだと思います。ただでなくても、心は名声やお金や異性など外界の刺激による欲や煩悩に動くことを熟知しておられます。
この人達は、従いせめて外界からの条件を自らの意思で出来るだけ整えることを考えられます。ネギとかニンニクは、将に強精剤ともなるもので、肉と同様食すると、体にエネルギーがおこってきます。
このようなものは、この人たちの価値観からすると、心を騒がす元なのです。修行の妨げになるのです。
それでなくとも、心は特に異性には弱いものなのです。更に自ら余計に難しくすることを避けるがためなのです。論語にも、「礼のあらざれば、視ることなかれ。礼にあらざれば、聴くことなかれ。礼にあらざれば、言うことなかれ。礼にあらざれば、動くことなかれ。」とあるのと同じ思想だと思います。
すなわち、正しくなかったり、心を乱すものは、見ない、聞かない、食さないという考え方だと思います。
五葷もこの意味で肉と同じとらえ方のように思います。このことから世相をみると、肉食が多くなると、一般の欧米人のように気性が激しく、喧嘩好きで、切れる人が多い世相になっているようにも思われます。
ニンニクのお好きな方はこちらに属するように思いますがいかがでしょうか。
菜食の人は、我慢強く、静かなおとなしい人が多いのではないでしょうか。また、別の面からの感想では、ベジタリアンの方は、嗅覚が敏感になるのではないでしょうか。
酒の匂いが体に染み込んでいる人の近くやタバコの匂いがあると我慢が出来なくなることはありませんか。
同じ意味で、ネギやニンニクの臭いには我慢ができず、その場から離れざるを得なくなりませんか。
この体の感覚こそ、これらのものを避ける理由だと思います。
五葷をさけることは、自らの体や心に素直に従った生き方をすることではないでしょうか。以上は、別に明確な理由にはならないかもしれませんが、感想としてご参考に供します。
(提供 良道さん)
別の主義
私自身は五葷OKの立場ですが、五葷の独特の刺激を嫌って食べない主義があるのは、「タバコを吸わない主義」「酒を飲まない主義」「コーヒーを飲まない主義」などがあるのと同様のこととして、理解できます。
私が言いたいのは、「五葷を食べない主義」というのは「菜食主義」とはまた別の主義(仮に「ゴクンタベナイアン」とでも呼びましょうか)だろうということです。五葷を食べないということ自体は変だとは思いませんが、「ベジタリアンだから」という言い方が変だと思うわけです。はい。
もし、西洋で
"I don't eat onion because I'm a vegetarian."
と言ったら、
"Why? Onion is not an animal."
と言われるでしょう。私は、「菜食主義」であり、かつ、「タバコを吸わない主義」ですが、「菜食主義だからタバコを吸わない」のではありません。タバコは純植物性ですから、それを吸ったとしても菜食主義とは矛盾しません。あくまで、「菜食主義」とは別に「タバコを吸わない主義」を持っているのです。
東洋のベジタリアンに五葷を食べない人が多いのは事実かもしれません。しかしこれも、「菜食主義だから五葷を食べない」のではなく、ある共通の理由によって、「菜食主義」「五葷を食べない主義」という2つの主義を持っていると理解するのが妥当でしょう。ですから、ベジタリアンだからといって彼らの「五葷を食べない」という習慣をマネする必要は全くないと思います。(もちろん、「菜食主義」とは別に「五葷を食べない主義」を持つことに対しては、何ら口を挟むつもりはありません。)
私は今まで、このマルマガや掲示板で、ベジレスやベジ用の食材などの情報をいろいろ流してきましたし、今後も有益な情報があればどんどん提供するつもりですが、せっかくベジレスやベジ食材に関する有益な情報をみつけても、「五葷を含んでいるかどうか」によって、さらにフィルターにかけられてしまうような感じがして、その点を少々残念に思っている次第なのです。(「チヂミ」のことも、その一例です。)私は五葷のことにいちいち気を使わずに情報提供できたらいいなあと思っています。
(提供 Yassさん)
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海外に飛行機で行く時に、機内食って出ますよね。これを前もって「ベジタリアンミールでお願いします」っていうと、ベジタリアン用の食べ物を持ってきてくれます。でも私は「ベジタリアンミールでお願いします」とは言いません。
「オリエンタルベジタリアンミールでお願いします」と言います。すると、五葷の抜かれたベジタリアンミールを持ってきてくれるのです。このことから見ても、五葷NGのベジタリアンっていうのは、単に好き嫌いという問題だけのものではなくて、ベジタリアンの中の大きな一つのカテゴリーになっていると思います。海外に言って、五葷を食べないのに
"I don't eat onion because I'm a vegetarian."
といえばおかしく思われるかも知れませんが、
"I don't eat onion because I'm a oriental vegetarian."
といえば通じると思います。
あと、五葷のことばかり論じられていますが、本当は三厭五葷(さんえんごくん)と言います。三厭とは「肉類・鳥類・魚類」のことで、「三厭五葷を食べない」というのは、「肉類・鳥類・魚類・ネギ・にんにく・にら・らっきょう・あさつきを食べない」ということです。つまり、三厭と五葷は、五葷NGのベジにとって同格なんですね。肉類を食べないことと五葷を食べないというのは、同じ意味合いを持っているんです。
あと、お寺などに行けば、「葷酒禁門」という看板が立てられているところがあると思います。葷酒の「葷」とはもちろん「五葷」のことです。このことからしても、別に新しく五葷がダメになったのではなくて、昔から五葷NGのベジがいた、ということになると思います。
みなさんはどうお考えでしょうか。回答してください
Yassさんwrote:
> せっかくベジレスやベジ食材に関する有益な情報をみつけても、
> 「五葷を含んでいるかどうか」によって、さらにフィルターに
> かけられてしまうような感じがして、その点を少々残念に思っ
> ている次第なのです。私は五葷のことにいちいち気を使わずに
> 情報提供できたらいいなあと思っています。↑ この点について、まるまさんの回答では触れられていませんでしたよね。読み手の一人として、管理者からハッキリとしたコメントが欲しい気がします。
後者については、まるまさんご自身が五葷NGである性質上、まったく触れない(フィルタにかけない)のは難しいかもしれませんね。
卵を口にしないベジの方も多いようですが、まるまさんはOK派だし。五葷もタマゴも気にせず投稿し、気になる人は各自調べたり、問い合わせたりするべきなのか。投稿する人や管理者が、五葷やタマゴ使用の有無についてもきっちり調べて、合わせて情報提供するべきなのか。
(提供 jingleさん)
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私の立場は「五葷NG卵OK」というだけであって、これでこのメールマガジンを偏らせようという気持ちは毛頭ありません。五葷のバリバリ入っている情報を送っていただいても、平等に掲載していきますので、なんのフィルターもかけるつもりはないです。バシバシ送ってください。
ただ、「五葷NGのベジってのはどういう感覚なのか」っていうのを知ってもらいたくて、なぜか熱くなってカキコしてしまいました。それと、私の立場を分かってもらえれば、どうしても私は「五葷NG卵OK」という立場からカキコしてしまいますから、いろんな指摘をいただけると思いまして、で、明らかにしてます。
ですから、いろんな情報なども、みなさんで教えあいっこできればいいなって思ってます。>投稿する人や管理者が、五葷やタマゴ使用の有無についても
>きっちり調べて、合わせて情報提供するべきなのか。む〜。これは難しいですね。やっぱ、どうしても偏ってしまうかも知れませんね。いろんな情報をいただけると、平等になっていくとは思うんですけど。
体質が変わった
ゴクンについて、物議がかもし出されてますね。面白く読ませてもらってます。
傍観するつもりだったのですが、載ってなかったタイプの私事を書かせてもらおうと思いました。
私がベジになったのは、病気がきっかけです。体質が全く変わってしまい、それまで何でも食べていたのに吐き気を誘うものがあり、「そんな訳ない」という昔の記憶を頼りに食べると体中が苦しくなり、やはり吐いてしまうことになります。
どうやら、その原因が動物性たんぱくらしいと学習していって大好きだった乳製品やニンニク、タマネギも、体調不良を起こすので自然に取らなくなりました。仏門ではゴクンを取らないということは知っていましたが、自分がそうなるとは思いもよりませんでした。
イタリアン好きの私は、これらを使わずに料理する難しさに直面しています。食べたいと思ったり、少しならいいんじゃないか、と食べても体は正直です。食べてみて後悔することがあまりに多く、次第にその気も起こらなくなりました。ゴクンは近くにあるだけで、その強烈な刺激が体調不良を起こすのです。いまや、ドラキュラや魔物除けににんにくを使う西洋の風習もわかるような気がしています。
菜食化した体質変化の根拠は不明ですが、結果的にベジ化して数年、精神的、意識的にも変化したのは不思議な事です。第六感も含めて(!)感覚というものがとても鋭くなり、動物に対する共感も強くなりました。
菜食は平和で、穏やかな生き方を導くものだということを、経験的に感じています。
因みに医師である私の家族は、健康に関してとても注意深く観察しております。が、菜食主義と健康の関係については、現代医学で多く研究されていないらしいのが、残念です。
肉体的精神的、両面で菜食が与える影響が、もっと解明されて欲しいです。(提供 ちゃっぷさん)
十人十色
最近何やら五葷についての話に花が咲きつつあるので無知ながら一寸気になり出したのでメールしてしまいました。
五葷を食べない、と言うのはお坊さんが修行中に、欲望(主に性欲)を起こすことを出来るだけ抑えるために避けているのだと思います。また、修行中はとても少ない食事量なので、食欲を増進させることも避けたいし、新陳代謝を高める必要もない。というかやっぱりおなかも空くし変に精神を興奮させても瞑想出来ないし、...。
と、色々、修行中には必要の無い食べ物になってしまうので、それをあえて食べるというのは必要のない殺生みたいなもので、無駄をしてはいけませんよね?。植物であれ、物であれ、モノを大切に、全てに感謝をする。
食事を作るのも心の鍛錬の一つ。
その時、そんな無駄をする事を考えるでしょうか。?確かに、お坊さんでは無い、日常生活を送っている人がそれらを食べない理由はないかもしれないし、インドカレーなんて、香辛料の固まりだからそれを食べるのは変かも知れない。
しかし人それぞれ、自分自身に何か決まりをもって、それを守る。と言うのは有りだと思います。だって、砂糖を食べない人もいるし、蜂蜜だって蜂さんが絡んでいるから駄目な人もいるし、...。
チョコレートだって、古くは修道院で禁止令が出たくらい(麻薬扱いだったのです。)刺激物です。
コーヒー飲まない人って結構見かけるけどブラックチョコは好きな人多そう。(抹茶なんかカフェイン多そう。)...等々、ベジタリアン、といっても十人十色。何故そうなったのかも十人十色。
動物を殺したくない人、環境問題に熱心な人、宗教上の理由が有る人、健康を考える人、味の好みや体質...。
言い出したらきりがない。
で..思うのは、ベジタリアンという考えは、ある程度の都市でなければあまり思想として成り立たないのでは..?と言うこと。例えばアラスカでそんなこと言ってたらそれこそ生きていくの大変そうだし、少数民族の村とか、そんなことってあるのかな。
単に好き嫌いになるかと。私自身は実はあまり主張を持ったりするのが苦手な一般的な日本人なのでこんな事書ける立場では無いのですが、都市生活を送りながら、何らかの危機感みたいなものを抱いている人をベジタリアンという一括りにしているのかなと思っています。
それって凄いなぁとか思うのです。
疑問を抱いてしまうことも有るけれど、私はそんな人達に出会って、彼等を美しいと思うし、好きです。
まるで山に行ったり、綺麗な花に出会った時のような気持ちになる。エゴイスティックなものでなく、共存、かなぁ..とか思うのであります。
私なりの五葷に対する考えなのでした。
(提供 仁子さん)
根で源だから
ごくんが精がつくから食べないとおっしゃってましたが、「アジア菜食紀行」(講談社現代新書)に、インド?かどこかでは、タマネギやニンニクは根で源だからと読んだことがありますよ。
でもジャガイモとかは食べるみたいですね。
ジャガイモは土の中で数ある中の一部をわけていただくという発想らしいですね?わたしはごくんOKですし、はっきりいってベジタリアンともちょっといえないとこもあるんですけど(^^;)、
自分が食べるものは自分で決めるだけのことだから、理由とかなくても、自分がそれでよければそれでいいかなぁとも思います☆
ノンベジの人につっこまれた時特にそう思います(笑)。(提供 ゆきだるまさん)
理由を聞かれると困る
私は五葷(ごくん)と呼ばれる食べ物を食べないベジタリアンです。五葷っていうのは、ねぎ(玉ねぎ含む)・にんにく・にら・あさつき・らっきょうの五種類の食べ物のことです。
じゃあ、なぜ五葷を食べないのか、って聞かれると、これがまた困ってしまうんですね。東洋系統のベジタリアンに特徴的なのが、この五葷を食べないベジタリアンなんですね。台湾とかインドに行ってみると、ベジ料理ってのは五葷が使われていないわけなんです。ま、インドは使っているところもありますけど。
で、五葷がなぜダメなのか、っていうのは諸説紛々なんですけど、一番説得力があるのが「精力が付きすぎるから」っていうことなんです。たしかに、にんにくなんてのはスタミナの元みたいな感じもありますし。
でもやっぱ、説得力に欠けるんだよなあ。私の場合、「牛や鳥も生きてるのになぜ食べるんだろう」っていう素朴な疑問から、ベジの友人にベジになることを勧められて、その時のベジの友人が五葷を食べないベジだった、ってのが単純な始まりなわけです。
だから、これといって深い根拠がないんですな。しかしこの五葷、なかなかツワモノの食べ物であることは、一度五葷を食べなくなると、これまた非常によ〜く分かるんです。ニオイが強烈だし、味も強烈なのが、これホントよく分かるんです。
だから一度五葷を食べなくなると、「食べられなくなる状態」になってしまうわけなんですね。で、先日メールで「まるまさんは五葷を食べない生活をされているのに、なぜ気軽にスーパーやコンビニなどで食材を買うのですか」っていうような質問をされました。はい、確かに。ごもっともです。
なんていうの、中途半端に見えるんでしょうね。たとえば化学調味料がたっぷり入っている食材を食べるのに、五葷は厳密に食べないようにしているっていうのは、なんか納得行かないかも知れません。
はい。でも、これが私のベジライフなわけで…。それと外で食材を買ったり、レストランで外食してみたりするのは、「チャレンジャー」と呼んでください。なんでも挑戦してみたくなるわけなんです。「お!これはベジでもイケルじゃん!」って発見した時の喜びってのは、なんかたまんないものがありますね。
そんなわけで先日来、不信がっていた近くのスーパーのポテトサラダなんですけど、「なんか味の素が入ってるのかなあ、なんか微妙な味がするんだよなあ」なんて思いながら買っていたのあったでしょ。
それを今日も買おうと思って行ったら、なんか、原材料のところが細かく書いてありました。そこを見ると…!おお!おおまいがっ!
「オニオンソテー」
なる文字が…。ううむ、強敵出現です。なんか微妙な味の感じがしてたのは、こいつの仕業だったのか〜!オニオンソテーだと、外から見た状態では入っているのかどうか、まず分かりません。
まあ、肉で言えば「肉エキス」、魚で言えば「魚エキス」に当たるものでしょうな。「どうりでなんか微妙な味を感じていたんだ」
と、妙に納得してしまったのです。
そっかあ、じゃあ、今まで食べたものの中で「なんか変だぞ。なんか微妙な味がする」って感じていたものの中には、このように原型がまったくなくなっている五葷が入っている可能性もありますな。一度五葷をNGにすると、肉エキス・魚エキスよりも、入っていることが分かるんです。なんか味覚がそんなになってしまうみたいで。
おお!これからはもう少し気をつけよう。(まるま)